子どもの頃の夢と今と将来

小学生の頃の私。公立学校の中では頭のいい娘だった。父親ゆずりで特に理科や算数が得意。さらにその頃は環境教育というものも進んでいて、私はそれにどんどんとひかれていった。そしたら「ノーベル賞のとれる科学者になって、世界の環境問題を解決する」これが私の夢になった。

 子どもの夢なんてものは移り変わりが激しい。幼稚園生の時の夢はバレリーナ。(私もかわいかったのだな◎)その後は絵描き、イルカのトレーナー、インテリアコーディネーター。

 え、なんで突然インテリアコーディネーター?そう、ここから何かが具体的になってくる。本当は「世界の環境」系のことを書こうと思ってたんだけど、現在とも関わるし、インテリアコーディネーターが出てきた経緯を語ろうかな。
(お気に入りのお店、のトイレ)

 私は小学生の頃からずっとすごく独り立ちしたい気持ちが強かった。末っ子ならではの性質として「背伸びしたい:家族の会話に私もいれてほしい」というのも、その一因だろう。
 あと親との葛藤も。例えばバレンタインのチョコを作る時。ただチョコの作り方や用具の使い方を教えてもらいたいだけなのに「みていられない」と、大半を手伝ってしまう母に対して不満を感じていた。「私が好きな男の子にあげるチョコなのに」って。他の場面でも「自分でやりたいのに」と思うことが多く、何度はその不満を親に伝えようとした。でもうまく伝えられず「人の親切を・・・」という感じで逆に怒られたのを覚えている。そーゆー所でなんとなく親に無条件降伏せざるをえない「子ども」の自分の立場を感じてた。




 自分が子どもである無力感はエコ活動でもっと感じた。深刻な環境問題、自分のできるところから救いたくて、裏の白い広告はメモ帳としてどんどん集め、お米のとぎ汁は花壇にまき、家の中の節電・節水にも心掛けた。しかし一時は家族の同調・協力も得られたものの、彼らの意識は長続きせず、エコ活動は行き詰った。まだまだ気の弱かった末っ子の私は彼らにカツをいれられなかった。ましてや「生ごみ処理機」(ディノスで発見、超画期的だと感動した)を親が買ってくれるわけがなかった。「もっと色々しないと地球が危ないのに・・・」と、真剣にもどかしく思っていた。
(コレは最近TVCMで宣伝してたS−ぷの)


 そこで私が思ったのが「自立・一人暮らし」。自分の生活に自分で責任が持てるようになれば、家族の目を気にせずにいくらでも日常生活の中でエコ活動ができる!今の生活で持てないのは残念だけど、いつかこの家を出たら生ごみ処理機のある生活をするんだ!そんな将来の現実的な目標ができた私は嬉しくなった。





 そんなこんなで一人暮らしに憧れた私。そしてがはまったのが、ディノスを使っての「一人暮らしシュミレーション」遊び。「こんな部屋で一人暮らしをするんだったらこんな家具にこんなベットを合わせて・・・」なんて絵(図)を広告の裏に書いて遊んでいた。
 正直かなり凝ってた。部屋の見取り図はマンション広告を参考にして書き、家具などはディノスから実際に選んでた(もちろん生ごみ処理機も)。寸法もチェックして縮小して書き込み、部屋と他の家具とのバランスを考えて選び、総額金も出してた。お小遣いは何百円の子どもには相場目安がぜーんぜんわからなかったけど。
※こうやって文章で改めて説明すると「怖い・暗い・変な子ども」だが、ご心配なく。ちゃんと外で遊ぶ友達もいたし、これは大体日曜日の午前中にリビングでるんるんとしていた。親も「不思議な子」という位で、心配はしてなかった(笑)






 インテリアコーディネーターに憧れたのは、この遊びにはまったから。友達のお母さんがカラーコーディネーターという仕事をしているのを知ったのがきっかけでこの職名を小学生ながらに知った。エコとはかけ離れてたけど遊んでいて楽しかったし、自分の夢を語る場合にも大きすぎず現実的&カタカナで格好よかったため、「地球を救う科学者」と同じくらいに将来の夢として語っていた。

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 そして今21歳。こうやって就活中、自分の原点を振り返ってた。変にませててどこか現実的な子どもな自分に失笑。そしてこの度、リフォーム会社に入社を決意。正直インテリアコーディネーターが夢と語ってたのは小学生までで、中高はやっぱり地球を救いたいエコ娘だったんだけどね。でも子どもながらにあんだけ楽しめたコトに関連する仕事。まずは実家から独り立ちすることが目標の新卒・社会人第一歩の仕事としては最適じゃないかしら、と思っています。コンポスト、今でも欲しいし笑。

長くなったけど、こんな結論を書きたくて書いてたわけじゃないの。本題は「地球環境」。エコエコ。だから続きは明日。